
【企画書】第二回ハセクラ・カップを日本で!
1.背景 1613年仙台藩主伊達政宗公の命により支倉常長率いる慶長遣欧使節団は“伊達の黒船「サンファン・バウティスタ号」”に乗り込み、石巻の月の浦からスペインとローマに向けて出帆しました。一年後セビリア県コリア・デル・リオ(以下「コリア市」)に上陸、マドリードにてフィリッペ王に謁見しさらにその翌年イタリアのチヴィタヴェッキアからローマに向かいローマ法王に拝謁しました。コリア市には、使節団の末裔とされ、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」姓を持つ人々が700名以上いると言われています(セビリア県全体では1,000人以上)。コリア市のハポンさんたちは、1980年代から「スペイン・ハポン・ハセクラ協会」という組織を作り日本との国際交流を進めてきましたが、東日本大震災を機にそれが一層活発になり支倉所縁の土地にも何度か訪れています。自分たちは「侍の血を継いでいる」と信じている彼らは、日本人の誇りを胸に遠い故郷の復興を願って様々な活動を続けているのです。そして2018年、そのハポンさんたちの活動に呼応する形でニューヨーク━仙台・石巻・女川━マドリード・セ

【企画書】第二回ハセクラ・カップを日本で!
1.背景 1613年仙台藩主伊達政宗公の命により支倉常長率いる慶長遣欧使節団は“伊達の黒船「サンファン・バウティスタ号」”に乗り込み、石巻の月の浦からスペインとローマに向けて出帆しました。一年後セビリア県コリア・デル・リオ(以下「コリア市」)に上陸、マドリードにてフィリッペ王に謁見しさらにその翌年イタリアのチヴィタヴェッキアからローマに向かいローマ法王に拝謁しました。コリア市には、使節団の末裔とされ、スペイン語で「日本」を意味する「ハポン」姓を持つ人々が700名以上いると言われています(セビリア県全体では1,000人以上)。コリア市のハポンさんたちは、1980年代から「スペイン・ハポン・ハセクラ協会」という組織を作り日本との国際交流を進めてきましたが、東日本大震災を機にそれが一層活発になり支倉所縁の土地にも何度か訪れています。自分たちは「侍の血を継いでいる」と信じている彼らは、日本人の誇りを胸に遠い故郷の復興を願って様々な活動を続けているのです。そして2018年、そのハポンさんたちの活動に呼応する形でニューヨーク━仙台・石巻・女川━マドリード・セ