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ご挨拶

スペイン第4の都市セビリアの近郊“コリア・デル・リオ”(以下“コリア市”)にはハポン姓を名乗る人々(ハポンさん)が600人以上いるといわれています。彼らは1613年に伊達政宗が支倉常長を大使として派遣した「慶長遣欧使節」のメンバーとしてヨーロッパに渡ったサムライたちの末裔とされています。 そのハポンさんたちは自分たちにサムライの血が流れていると信じ「ハポン・ハセクラ協会」(以下“ハポン協会”)を組織して活動しています。 そしてコリア市には今でも「日本」という名の理髪店や「Sendai」という名のカフェがあります。

東日本大震災の直後、ハポンさんたちは市内を流れるグアダルキビル川に沿った公園に建てられている支倉常長像(1992年に仙台市が寄贈)前にて追悼式を行い、「君が代」や「さくら、さくら」を歌った後、遠い故郷の復興を願って俳句を詠みました。その内容は、2012年1月14日付けの読売新聞「世界は忘れない。犠牲者悼む五・七・五」として紹介されました。

仙台に生れ育った私は、この記事を読んでこのハポン協会と一緒に日本とスペイン間の文化交流事業を継続的に行うことを思い立ちました。ちょうど2013年は支倉常長ら一行180人余を乗せた「サン・ファン・バウティスタ号」が石巻の月の浦を出帆して400年の節目の年でもありました。私は早速コリア市に飛びハポン協会の会長であるフアンフラン会長らのハポンさんたち、コリア市やセビリア市の幹部、コリア市の市民合唱団などと会い自分の計画を相談しました。そして翌2013年から毎年継続的な形で日西文化交流プロジェクトが本格的にスタートしたのです。ハポンさんたちやコリア市民合唱団を仙台・石巻・松島に招待しての合同コンサートや俳句交流会、セビリア市の世界遺産アルカサル宮殿でのコンサート、ハポンさんたちを呼んでのテイラーアンダーソンさん追悼のための風の環コンサートと俳句発表会(Ethical Culture Center, New York)。2017年にはコリア市民合唱団を招待しニューヨークのカーネギーホールにて風の環コンサート を 開催するなど毎年様々な文化交流事業を展開してまいりました。一方、2017年の11月には、コリア市のモデスト市長とフアンフラン会長が仙台・石巻のみならず支倉常長に所縁の深い宮城県の大郷町や川崎町そして山形県の米沢市などを訪問しています。
今年2018年9月には、セビリア県トマレス市の少女合唱団がニューヨークに招待されコンサートに参加するだけでなく、日系の子供たち(風の環少年少女合唱団やニューヨーク育英学園)との交流会も実現しました。そして来年は石巻・女川のサッカーチーム(U15のユースメンバー)をスペインに派遣しての「ハセクラ杯」親善試合の開催などが計画され、この交流事業はスポーツ分野に、そして未来を担う子供たちにも広がってきました。

私たちはこれからもコリア市のハポン・ハセクラ協会と緊密に連絡を取り合いながら、日本、スペイン、アメリカにまたがった文化交流事業を積極的に進めていきたいと考えています。そのために新たに日本にて「ハポン・ハセクラ後援会」を立ち上げました。事務局は仙台に置きますが、メンバーは日本、スペイン、アメリカに散らばっており、グローバルに展開してまいります。この後援会を通じてこれからの交流事業がより円滑に効率よく企画・実行されることを期待するものです。どうか今後とも皆様のご理解とご協力をを賜りますようよろしくお願い申し上げます。

ハポン・ハセクラ後援会 会長

ハポン・ハセクラ協会 名誉会員

​白田 正樹 (Mike Shirota)

私達は今、夢を実現しようとしています。その夢とは、400年前に日本から渡ってきて私達の地に根を下ろすことを決意し、その結果として私達に生を与えてくれた祖先の故郷を訪ねること、そしてその故郷の皆さんにお会いすることです。それほどまでに私達は日本人に対して感謝の気持ち、友情、そして尊敬の念を抱いてきました。そしてその想いはこれからも永遠に続くでしょう。まず私は「ハポン」姓の調査・研究の第一人者であった私の叔父Vinginio Carvajal Japónを紹介させていただきたいと思います。彼はコリア市に日本人を受け入れるために人生の25年以上を捧げました。コリア市には彼の名前を刻んだ部屋が永久保存されています。それは彼の業績をたたえ2006年に在スペイン日本大使の吉川元偉によって開設されたものです。

次に、震災からの復興に長く取り組んでいる皆様に愛のメッセージを捧げたいと思います。私達の誰もが、あのとき、テレビやインターネット上の映像で深い衝撃を受けました。また、私達の兄弟である日本人が、少量の配給を待つために尽きることのない長い列をしっかりと守っている様子は、私達に教訓を与え、尊敬の念を抱かせてくれました。そこには略奪などなく、まさに称賛に値するものでした。間違いなく日本の教育システムは、世界中のすべての人々のモデルです。

このような極めて困難な状況においても、人々はそれぞれの立場で何か最善を尽くす手立てを見つけることができます。コリア市としても、震災を知った当初からできる限りの協力を惜しみませんでした。自身の出来事として受け止め、半旗を掲げ、支倉像の前で5分間の黙祷をささげ、慈善オークション、赤十字への寄付金を募り、そして、犠牲者への追悼として俳句が朗読されました。コリア市当局は特別チームを編成し、それらのイベントに集まったホームレスに住居までも提供したのです。最近、私はコリア・デル・リオ市のモデスト・ゴンザレス市長とともに、徳仁皇太子殿下をお迎えする栄誉を授かりました。コリア市民は熱くおもてなしし、殿下は桜の木を植樹された後、支倉像の近くにいたハポン姓の人々に声をかけられました。その後、我々はアルファンソ13世ホテルでの殿下とのレセプションに出席いたしました。私達は、展示会を訪れ、地震と津波の被害の大きさを目の当たりにしました。そして、たくさんの企業の努力と多くの献身的な人々のおかげで、被災地が少しずつ復興されつつあることを知り得ました。

この先、まだまだ長い道のりが待っています。私達は犠牲者を敬い、そして全世界の人々にこの悲劇を忘れないように広めていく義務があります。それによって、私達は被災者と一緒に立ち上がり、硬い結びつきを示すことができるようになるのです。日本の皆さん、遠い私達との距離は傷みを共有する妨げにはなりません。全被災地が一日でも早く復興されること、それが私達の心に確信となっていくことを切に願っております。
 

ハポン・ハセクラ協会 会長

Juanfran Japon

(ファンフラン・ハポン)